ココロの隅っこ吹き溜まり

自分の心の中身、色々ため込む前に吐きだす場所

ノンポリ

知識や知能が高いからといって、心まで高尚とは限らない。

そこにユーモアが加わることで、本当に優れたヒューマニストが現れるのだと思うし、人間味溢れる行動と対話が生まれると思う。


知識や知能が邪魔して真実が見つけられず、差別的・否定的・固執した思考になってしまうのかもしれないな。

知識人ぶってる人ほど残酷なことを言って発信しているし。

 

さて、

ノンポリ』という言葉を最近、眼にしてどんな意味なの?と調べたら

ノンポリとはノンポリティカル(non‐political)の略で、政治に関心がないこと、またはそういった人を意味する。全共闘など学生運動が盛んに行われた頃の言葉で、政治に関心があってもこうした過激化する学生運動に関与せず、どの党派にも属さないような学生も指し、ノンポリ学生という言い回しも使われた。
しかし、当事のような政治に深く関心を持つ若者が少なくなった現在、無党派という意味で使われる程度で、あまり使われない死語となっている。

 この解釈だと学生や若い世代の人の事を中心に指しているけど、いい大人にもこんな人はいる。一見、関心があるようでも人の言葉を引用するばかりで、自分の考えを語っている人が少ない。人の言葉に煽られて瞬間的に盛り上がって、波が過ぎると忘れてる…そんな人も多い。

こうした駄文であってもその時の自分の思いや考えを記し残すことは、意識の向上につながると思うのですが…。

「自分はそれでも変わらない」

と、言葉に出していう人もいる。私は「本当にそれでいいのか?かなりみっともないよ?」って言ってあげたくなる。「変わること」を恐れているだけでちっともかっこよくない発想だからだ。

 
自分が何も残せない責任を子供に託し「あの子なら大丈夫」っていうのも嫌い。子は親の鑑。大丈夫だとは思えない。その大丈夫じゃない子を真面目に考え活動し社会を動かしている他人様に押し付けているのと一緒だから。こういう無責任な発想の親が嫌い。

そう、だいたい無責任な人が「ノンポリ」なんだよね。