ココロの隅っこ吹き溜まり

自分の心の中身、色々ため込む前に吐きだす場所

母親論

私がブログをつけるのは、自分の変化を記録するようなもの。心は変わるからその過程がわかるから。あと、自分との約束を守るため。自分に誠実であるために。

小泉今日子がCMのセリフで
「変わらないね。って言われるより」
「変わったね。って言われる方が私はうれしい。」と、言ってた。
彼女の本当の気持ちかはわからないけれども、人生の中でいろんな人と出会いいろんな場面に出会い、それに対してどう関わって来たか?経験値で良い意味でも悪い意味でも人は変化…進化できる生き物だと思う。

でも、自分で選り好みしてしまう性格ならば、良いところは伸び悩み、成熟せぬままジタバタした大人になってしまうのではないだろうか?
それも人の生き方の一つで否定はしないけれども、例えば家庭を持ち妻として母となった時、独り身の時の感覚のままでは、キャパオーバーになってしまうことは大いにある。どこかで自分自身を変革しなければ乗り越えられない場面もあるだろう。

人というのは、裏表どころか裏表裏なのが人間なのだと思う。そうでなきゃ暮らしていけないよ。世の中なんてさ。それを体裁整えようとするからがんじがらめに絡まっちゃうの。その絡まった感情は時に人に解いてもらったり、人の意見に従ってみたりして学ばないと、いつまでも同道巡りになってしまう。プライドが邪魔して変革できないのなら、そのケチなプライドが自分をダメにするんだな…って、私は4、5年前に結論しました(笑) ※twitterのつぶやき

何しろ4、5年前までの私は威圧的なところも多くあった。今でも偉そうだったり上から目線の時もあるけど、これでも丸くなった方だ(笑)

 

さて、今朝の出来事…

夜中に目を覚ました次男が、シンクの中に放置した食器を食洗器にいれて洗っておいてくれた。しかし、全て上向きに入れてたからお湯が器に溜まったままだった(笑)今はとりあえず指摘せずありがとうと、伝えたよ…ww ※twitterのつぶやき

これが私の子供の頃だったら、母はこう言っただろう。

「どうせやるなら、お茶碗は逆さにして入れるのよ!」って

褒められたい私の心はズタズタですよ(笑)

褒められたい子供の心理を考えるなど、全く持ちあわせていない母でした。
私は子供を持ってからまず、自分を見つめ直すしかないと思った…。母は常にヒステリックに怒り、イライラしていた。ふとわけのわからない時に可愛がってみたり、愛おしそうに見る母が嫌いだった。何が気に入らなくて、何が気にいってるのか?わからない!私はそう思うことしかできない子供でした。だから、次第に親のご機嫌顔色を見るような子供になりました。

子供は褒められたいときに褒められないと、ダメなんだろうな…と、学習しました。

自分の母親が反面教師なのでもちろん尊敬できるところは真似るけど、嫌だったところは意識してしないようにしたり、その逆をしたりする。

時々、ダメ出ししちゃうときもあるけど💦

 

母は外面が良かった(笑)いつも、母は外に向けてニコニコして周りに気配りをしていたから、「良いお母さん(奥さん)」という評価を得ていた(家の中では全く違う人格)。だから、私もその母の為に良い子供でいなければならなかった。おかげで私も世間様からは

「○○ちゃんはしっかりしてて、お利口ね」
「○○ちゃんがしっかりしてるから安心ね」って言われた。

私は別にしっかりした子供でいたかったわけではない…。普通にお母さんに甘え守られる存在でいたかった。親から受け継いだものは知能性格。

私の知能は高くない(笑)。性格も卑屈な方だと思う。でも、それはそういう家庭環境で育ったから仕方のないこと…と、諦める気持ちがなかったのが救い。

私は自分の子供には私のようになってもらいたくない。そんな思いがある。今思えば母も蝶よ花よで育てられ、人見知りが激しくお友達作りが苦手だったから周りに愛想よくしていたのだろう。と、理解してる。
私も人づきあいは得意な方ではない。でも、私はその愛想のよさは受け継いだのだろう。ただ、母のように自分の立場を守るために世間に気を遣うのではなくて、子供たちを守るための術としての「愛想」は必要なのだろう。と、感じた。

子供達もそれなりに愛想は良く育っている(笑)。馬鹿でもいい愛想が良ければ生きていける!(笑)