最期の階段を上り始めた私の“10のルール”
①ぼやけた輪郭の影が次第にその正体を現そうとしていく。
それは、かつて知っていた姿とは全く違う姿に変わってしまっているはず
②時間が自由になるからといって、心まで自由ではない。
時間があればあるほど好きなモノしか周りに集めない。
私は50年生きてきた。
同じように50年生きてきても、そのヒトトナリと言うのは十人十色だ。
私はもう、初老だ。寿命がくるまでのカウントダウンが始まっている。嘆いて悔やんで愚痴って苛ついて最期を迎えるなんてまっぴらだ。
もっと気の利いたことが言えないのかぃ?って感じるいい歳した人がいる。どういう生き方をしてきたのか?どういう人生を思い描いていたのか?その人からは全く深みを感ずることができないでいる。発言の一つ一つがその人の生きてきた生き様だとしたら、私ははっきり言う。ああいう風にはなりたくないと思った。
死相がその人の生きてきた人生を映し出しているなら、私は笑顔で死んでいたい。誰もがそう望むであろうけど、眉間に皺を寄せ唇をへの字にして死ぬ人もいるだろう。
私はもう、初老だから臨終のときの死相について真剣に考えてる。だから、これからの人生は以下の“10のルール”に沿って生きていきたい。
①人のせいにしない。
②人に感謝をする。
③人を恨まない。
④人をうらやまない。
⑤人に親切にする。
⑥人の話を聞く。
⑦人のふり見て我が身を振り返る。
⑧人の無神経は許さず
⑨人の悲しみには寄り添う
⑩人を沢山、好きになる
最期は人に囲まれて迎えたい。そのための準備期間に入った。