ココロの隅っこ吹き溜まり

自分の心の中身、色々ため込む前に吐きだす場所

私は愚かな人類の子供だった

手塚治の「鉄腕アトム」の設定は2015年なんだよね。そう、今年なんだ。もし、アトムがいたら…きっと、湯川さんも後藤さんも助けてくれたと思う。でも、アトムはいない・・・

佐野元春の曲に『僕は愚かな人類の子供だった』という作品があります。


幼い僕は泣いた
君が勇気を見せたとき
なぜなら僕には
勇気がなかったから

幼い僕は笑った
君が失敗したとき
なぜなら僕もよく失敗したから

幼い僕は怒った
君が闘いを挑むとき
なぜなら僕にも
理由がわかっていたから

幼い僕は空を駆けた
君が誰かを助けに行くとき
なぜなら君が
手招きをしたから

幼い僕はうれしかった
君が誰かに抱きしめられたとき
なぜなら僕も
誰かに抱きしめられたかったから

君は朝起きて
家族と食事をし
制服を着て学校に行った
君は恋をして
友達と遊び
無茶をして
大人から叱られた
まるで僕と同じように
まるで僕と同じように

一度 君が歩くときの
靴が擦れる音を真似たことがある
でも僕の靴は違う音がした

やがて君は英雄になった
君は愚かな人類のために犠牲を払い続けた
君はその愚かな人類の仲間入りをしたいと願った

僕にはどうすることもできなかった
そして君は
僕の英雄になった

幼い僕は残酷だった
君がアンドロイドと知るまでは
なぜなら僕には愛も正義もなかったから

君がいなくなったとき
幼い僕は泣いた
さびしかったからではなく
なぜなら僕は
愚かな人類の子供だったから


これは“鉄腕アトム”の無垢な正義感を歌った曲。だと、思っている。
でも、今回のISの人質殺害事件をうけて、後藤さんの足跡を鑑みた時に後藤さんもこのアトムのような存在のように感じた。

ISの戦闘員も愚かだけど、ニュースを見てただ嘆いているだけの自分も愚かで、その愚かな人類の犠牲になっている人達のことをもっと世の中に認知させたい。そんな思いで働きかけていた後藤さん。

ビジネス目的でシリアに向かった湯川さん。後藤さんから行かぬようアドバイスを受けていたらしい。それでも彼は行ってしまい、ISの武装集団に捕まってしまう。

後藤さんはたぶん、中東の戦争で苦しんでいる人達の取材以外では中東へは出向かない、そういうスタンスのジャーナリストであったと思う。だから、湯川さんにも行くなとアドバイスしたのでしょう。
まさか、こんな形でシリアに行き、ISに拘束され殺害されてしまうなんて…亡くなった方の事を悪くは言いたくないけど、やはり一人の愚かな人間のために犠牲になったとしか思えない。

日本政府は伝のない中、不眠不休で今の政府に出来る最大限の事をしたと思う。もどかしかっただろうと思う。…後藤さんは何があってもイスラムの人達を責めないでと、言って向かった…。彼の命を無駄にしちゃいけない。
私は安倍さんのこと好きでも嫌いでもないけど、今の政府を批判する気持ちはなくて、それを言ったらISの輩と同類もしくは、奴らの思惑にはまった愚か者と思ってしまう。今は後藤さんの信念を感じたい。
好きか嫌いかという小さな観点だけで、臆測的な批判を言うのはお門違いだなって思う。私もみんなも結局、生きてるだけで精一杯の弱虫なのだから。

日本には法律上、海外へ行く時の規制について強制力がないという。また、邦人がテロリストたちに拘束されたとしても奪還する術も持ち合わせていない。
日本は“平和原理主義”を唯一貫いていいる誇り高き国家です。この精神と法は断じて崩してはならない。でも、どうやって“テロ”という血も涙もない集団から自分や大切な家族、友人たちを守ったらいいのか…情けなど通じない集団にどう立ち向かえば良いのだろう?

自分や世の中がISに不安を覚え、怯えながらにやけた顔で生活してることが、とても違和感があり不気味にすら感じる。
SNS内の優しくて楽しくて平和な言葉たちが何もかもを流していく様を眺めていると、複雑な心境に陥る…。